ことの経緯について(18)
平成21年4月末、世間はゴールデンウィークに突入して
家族旅行や帰省の報道がテレビに映され今まで一番嫌な
連休になりました。一番嫌で苦しかったのは長女です。
長女は妻が家を出た当日に大泣きしてから一度も泣いて
なく逆に父親である私を励ましていました。しかし休み
の初め頃にテレビを見ていて急に長女は泣き始めました
それは地元のテレビ局が近くの公園の花畑を写した映像
でした。長女に聞くと昨年の今頃に母親と妹と三人で、
この花が咲く所に行った事があるそうなのです。
今まで気丈にしていたというかかなり我慢をしていたの
でしょう。私は長女に無理しないで良いから泣きなさい
と言いました。長女は大きな声でずっと泣いてました。
それからは長女はまた毅然として毎日微笑んでました。
しかし母親や妹と歩んだ道や行政の施設の前を通ると
すごく気分が悪くなるそうです。
平成21年4月27日に佐賀家庭裁判所にて調停前の事情を
聞きたいからと裁判所から通知がきており当日に出向き
ました。私一人でも良かったのですが長女は自分の目で
しかっり事実を見ておきたいと言い放ち自分も同行する
と言いました。そして自分の意見もハッキリ述べたいと
も言いました。約1時間ほど調停員と話をしてその後に、
約30分ほど長女が話をしました。長女が話をする時は
私は外で待つように言われ長女は一人で話をしました。
後で話を聞くと母親と父親と、どちらが良いか?一緒に
暮らすならどちらか、母親もしくは父親のどちらから、
怒られたりしたり叩かれたり暴力などはなかったかなど
を聞かれたそうです。長女は最初から答えは決めていた
そうです。これは児童相談所の香月がすべて仕組んだ事
で母親も病気ゆえに正常な判断力を失って間違った判断
をした事、だから今信用できるのは父親のみであり母親
が懇願しても今の母親の所に行ったりして、父親の元を
自分が離れると本当に家族は崩壊してしまい今後の自分
の身も危なくなるという考えでした。
私は妻と争う気持ちは毛頭無く、長女に関しては特別に
言い聞かせたり説き伏せたりは全くしていませんでした
長女はお母さんと妹が家に早く帰ってきて、家族が再び
一緒に暮らす為にはすべてお父さんの言うとおりに従い
そして今の母親と妹は異常で意見に同調する事は香月の
罠にかかる事になるのでお父さんとしか一緒に住まない
と断言して私に言いました。この長女の姿勢が、今後の
展開に大きく繋がるとはその時は思いませんでした。
4月の初めに佐賀県中央児童相談所で職員の香月と話を
して約1ヶ月が経過しています。その時に次女の施設へ
入所させる親権者の承諾書を即され話をした一週間後が
書類の提出期日になってました。署名捺印をしない場合
は家庭裁判所へ申し出て裁判所の承認を得て強制執行を
する事、そして児童福祉法に基づき強制執行した場合は
子供への面会は一切、不可能になるとも言ってました。
しかし一月程たっても何ら連絡もなく、また裁判所から
の通知なども何もありません。これは完全に、何らかの
強制が出来ない理由があって、児童相談所や香月が次女
にしている事は公に出来ない内容が含んでいると考え、
当分の間は児童相談所のリアクションがあるまでは次女
の件については放置することにしました。
6月10日に第一回の離婚調停が佐賀家庭裁判所で開かれる
通知が佐賀家庭裁判所より通知が届きました。妻の状況
を考えると、いずれは正常な判断が出来る状態にもどり
正確に理解できる時がきます。しかしそれは、明日かも
しれないし数年後かもしれません。いずれにしても全て
事の状況や結果が現実に目にみえた時になります。
私は被害を最小に留めて代理人である福田恵巳弁護士の
思惑通りにならなく家を守る方法や手段を思案していま
した。そんな時に旧友からの電話があり妻の過去の事も
良く知る友人でしたので今回の事も全て話をしました。
話の中で妻とは過去に一度、離婚をした事がありました
しかし実際には別居なども無く書面だけの形式的な内容
の離婚でした。期間は3ヶ月ほどです。その時は結婚して
数年目で妻の病気の事などもわからず、家を出る度に
妻は虚偽の夫からの被害や悪口を友人や知人などに言い
離婚をしたいなどと相談を持ちかけていて、それが何度
もある事から離婚届と婚姻届に署名捺印を妻にしてもらい
今度何かあったら直ぐに離婚届を出すという成り行きで
離婚に至ったのです。
その時に初めてわかったのですが氏姓は一つ前しか戻る
事ができないので妻は旧姓には裁判所の許可がなければ
簡単には戻れません。しかも両親の戸籍は消失している
状態ですので余程の理由がないと不可能です。
この事を教訓にして、またその時もこの友人からの助言
で妻には離婚届に署名と捺印をしてもらった届けが既に
手元にはありました。その事を私は忘れていましたが、
友人はそれを直ぐに私に言いました。
たしか当時、その前後に初めて妻を精神科に受診させた
と思います。その時は精神病の疾患が認められてました
当時も話はしていましたが一番怖いのは戸籍など役所に
関するものを妻が動かしたりする事、特に第三者の悪意
がある者がいれば取り返しつかない状況になりうること
が懸念される為に離婚と婚姻届に妻の署名捺印を書いて
ものを用意していつでも先手を打てる様に友人から強く
言われて作成し保管していました。
このままでは最悪の事を考えて行動しなければいけない
裁判所の離婚となれば、特に女の子の子供は将来的にも
ダメージが大きく仮に再婚しても戸籍の附票には一生、
記載がされるのでこれだけは回避しなければいけないと
友人は強く言いました。妻を信じる信じないは別として
平成21年5月に戸籍がある役所に友人と一緒に出向いて、
離婚届を提出に行きました。妻側の福田恵巳弁護士が
裏工作して不受理届けを出していない事だけが一番の
願いでした。妻は過去の離婚届に従い以前の戸籍に戻し
妻は旧姓には裁判所の許可なしでは戻れないので以前に
書いた離婚届と同じ内容で提出しました。
届けを提出してかなりの時間が経過しました。駄目かな
と思っていたときに窓口の職員から呼ばれて以外にも
「受理しました。今日の日付の受理になります」と簡単
に言われました。とりあえずこれで離婚調停は無効状態
になります。離婚を望んでいて、しかも自分の筆跡での
署名捺印ですので違法性は全くなく完璧です。
当然ですが長女にもこの事は正確に理解できるまで良く
説明して納得はしてもらっています。親権に関しては、
二人の子供とも私でも良かったのですが、あくまでも
離婚調停を回避する苦肉の策であり縁を切るつもりは
ない事、しかし長女の意向もあって私は長女を妻には
次女を親権者にして離婚届を提出しました。
あとはこの協議離婚成立の事実を何時のタイミングで
どのようにして伝えるかが問題でした。熱心な離婚が
専門の弁護士は不受理届け提出などで裁判所での離婚
の成立させると聞いた事があります。しかし福田恵巳
弁護士はしてませんでした。当たり前に考えると離婚
調停を申し立てしているのでという考え方も出来ます
が弁護士という立場を考えるとむしろ逆のはずです。
この時点で福田恵巳弁護士への疑念が深くなりました
6月10日に調停が開催されます。6月9日に、わかくす
法律事務所宛、福田恵巳弁護士に郵便物を送る準備を
しました。内容は妻への手紙と弁護士宛の書類です。
それぞれ書面は約50ページにおよび妻への手紙は、
別に厳重に梱包して開封したら跡が残る特殊なテープ
を使って封をしました。弁護士宛と妻宛の書簡の一番
最後のページには同じ内容の書面で、協議離婚成立の
通知を記載した書面を添付しました。
弁護士の質と反応を見たかったのもあり、裁判所へは
通知はあえてしませんでした。普通でも、申立人側に
通知をするだけで良いのでは?と友人も言ってました
まともに福田恵巳弁護士が職務を行っていれば6月10日
の離婚調停は行われないはずです。仮に開催されても
事情などの事情聴収だけだと思われます。
この福田恵巳弁護士は依頼人である妻の代理人として
全く職務を遂行していなく形式だけで弁護士の職権を
振りかざしているだけの人だとわかりました。
調停から裁判へ移行して依頼者の希望通りに至らずも
弁護士報酬は法テラスから保障されており不利益はなく
しかも殆ど手抜きで仕事と言えば近所の裁判所へ必要
な時に出向くだけ。あとは事務所の職員にでも適当な
書類の作成をさせればというのが正解だと思えます。
平成21年6月10日午前10時に佐賀家庭裁判所で第一回の
離婚調停が梅雨の雨が降るなかで行われました。